「90歳を迎える記念すべき夜を処女と淫らに過ごしたい!」の帯の言葉に惹かれたというのは購買理由の何パーセントかは入っているだろうが、古本屋さんでガルシア・マルケスの単行本が新品同然で置かれていたことに感動したことも購買理由で大きい。
その古本屋さんは、よく街中であるような古本を横積みして置いてあったり、本がありすぎて整理が出来ない状態で何がどこにあるか客にとっては迷宮状態な古本屋さんではなく、古本屋のセレクトショップのような店だった。
いいね、こんな古本屋さん!
ボクだったらこんな古本屋さんで更にお酒でも飲めるようにして音楽にも凝りたい!
話を戻そう。
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ガルシア・マルケスは「悪い時」「予告された殺人の記録」「百年の孤独」と読んでおり、その後しばらく遠ざかっていた。新刊が出たのさえ知らなかった。読むのに体力がいる作家で、仕事が忙しい年代に彼は合わないのだ。
ようやく本を読む気になってきた最近、古本屋巡りもしだした。そこで久しぶりの再会となったわけだ。
帯もそうだが巻頭に川端康成の「眠れる森の美女」の淫猥を想像させる一節を引用して小説が始まる。
小説の実際はそれ程卑猥ではないのだが(感じ方による)、年齢に応じた経験則があるからこその対応でこの小説中のMaxの淫猥な行動をとっているのだが、主人公の人となりからか疎まれることがない。
この行動に限らず彼は終始人から好かれることがあっても憎まれることがないようだ。しかし、当の本人は気付いていない。
記事内容も途中やけくそみたいな時もあったが、それが功を奏し好評を得た時も、自分の思うがままの行動を通した結果だった。90歳の彼ではマンネリでもあっただろうから、日常の非日常的な行動が記事内容にもいい影響をもたらした。
彼はコンプレックスの中で育ち、マザコンでようやく自分で居所を見つけて独り立ちをして孤独の中に住んでいたが、やはり他から異形であれなんであれ、純愛が必要であったのであろう。
何よりも主人公が百歳を目標に定め次の人生を考え始め、日々のマイナスなことも気になりなくなりだし、新たな目標へと踏み出す自身の姿を思い描いていることで小説が終わりを迎えるということは、90歳の主人公の苦悶が無駄ではなかったということ。
作者は、他者が「異形」と決めつける「常識」や「非常識」よりも本人が自分で感じる感性で決めることの大切さを年齢を例えて言いたかったのではないだろうか。
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