ハルキニストじゃないけど、村上春樹作品は大体読んでいる。
ジョン・アーヴィングのような物語を構築する作家がすきなのだ。
だから、村上春樹作品も出版されたら読んでいる。
さて、今回は短編集が映画となった、となったという情報だけで観に行った。後は海外制作のアニメ、ってことくらい。でも、
観終わったのちに監督さんの編集能力に大変な感心をした次第。まるで一つの作品かのようになっているではないか。
以下ネタバレを含む。
短編集が映画となる、といっても別々の、テーマも出版日も元々バラバラな短編を監督がピックアップして、この映画で一つにしているというもの。
ボクからすれば読んでない短編も入っていて、それ以外は「あ、これ読んだことがある!」ってのが、一連の物語となり、繫がりをもって関連性を帯び、映画として一貫性を保っている。
ま、そもそも作者は一人なんで、一つの作品について純粋に作品世界を構築すればその世界観は保てるのかもしれないが(この場合村上春樹ワールド)、それにしても全く別の話を関連付け一つのストーリーをして映画に仕上げる構成力は素晴らしい。
【ORIGINAL BOOKS】
「かえるくん、東京を救う」
『神の子どもたちはみな踊る』
村上春樹
新潮社「バースデイ・ガール」
『バースデイ・ストーリーズ』
村上春樹 訳
中央公論新社『バースデイ・ガール』
村上春樹
新潮社「かいつぶり」
『カンガルー日和』
『バースデイ・ガール』
村上春樹
講談社文庫「ねじまき鳥と火曜日の女たち」
『パン屋再襲撃』
村上春樹
文藝春秋BOOKS「UFOが釧路に降りる」
『神の子どもたちはみな踊る』
村上春樹
新潮社「めくらやなぎと、眠る女」
『螢・納屋を焼く・その他の短編』
村上春樹
新潮社
人によっては、バラバラで関連性がないとも感じられたのかもしれないが、ストーリーとしては男女の別れの話がメインストーリーであり、そこから派生する枝葉のストーリーでそれぞれの盛り上がりがあり、繫がり、と、そもそも全く別の短編話であったことを考えると、村上作品の量と照らし合わせると、映画を作るに際しどの村上作品を組み合わせるかは気の遠くなる話だったろうと想像する。
元々村上春樹は登場人物に個性を作るのが上手だ。
無個性に見える人の個性作りと強烈個性。
信託銀行の人たちとカエル君。
カエル君!
恐らくこの映画を観た多くの人がカエル君に惚れたことだろう。
人が評価しない事でも真面目にコツコツとやっていれば、いつか誰かが観ていてくれて評価してくれる。そして、いざとなったら助けてくれる。それが、カエル君!
我々の日常に必要なのはカエル君なのだ。単純な発想だが。
誰もが妄想し、欲し、期待するもの。ただ、それに応えるべく行為は必要だ。
我々はカエル君を呼べる行為をしているだろうか。
カエル君がやってくる環境にいるだろうか。
カエル君が認めてくれる仕事をしているだろうか。
カエル君が必要とする人間であるだろうか…。いろいろ。
カエル君に見初められた信託銀行に勤める彼と隣り合わせで働く主人公はハルキ小説にありがちな平凡でありながらも女性にモテモテな草食男子だ。
何処にでも居そうで実際には中々いない。
でも、ある一部の「層」には存在する「平凡なモテる草食男子」。
これは矛盾してはいないのか。
「平凡」と「モテる」が同じセンテンスに混在するのは。
しかし、村上作品には良く出てくるのだ、この平凡でモテる草食男子像、が。
その意味ではカエル君に助けられたオジサンは対極にあり、席は隣同士であっても接点がないように見受けられる。
現実社会で成功しているのは誰だ
大きな失敗無しで(恐らく)今まで生きてきた平凡なモテる草食男子がここに来て大きな挫折を味わうという現実と向き合う中、カエル君との出会いで一発逆転で人生を成功へと導こうとしつつあるオジサン。
震災の悲劇を目の当たりに漫然と生きてきた現実振り返り、今までの過去を思い出し、人生をやり直そうとする元妻。
これからに向けては「正解」はない。
只今現時点での気づきと今いる場所を正確に理解している者は強い。
カエル君によって成功を導きだされたオジサンの現時点での現実は妄想だろうか。
平凡な女性にモテる草食男子は、大きな挫折を味わっているがそれは「失敗」だろうか。
書置きをして失踪をした元妻の今までの人生は無駄だったのだろうか。
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