考えたくもないし、話が飛躍しすぎじゃないかと思うのではないだろうか。
否否、
ボクは20歳の頃、ラグビーの練習中にタックルで頸椎を捻挫状態となり、寝たきり1っか月を経験したことがあるのだ。
頸椎損傷すると酷いときには死に至るし、程度によっては車椅子、ボクの場合は一か月の寝たきり生活後、多少の手の震えが残る後遺症程度で普通の生活にカムバックできる幸運なパターンだった。
その際の生活を今にして思い出す。両手が麻痺し激痛で動かせず、上半身裸で病院のベッドで寝たきり生活を送ったのだ。
結果的に捻挫のような症状だったので、日にち薬みたいなもので日を追うことに良くなっていったが、当時は先行きが見えず不安な日々であった。
なんせ20歳だから!
病院のベッドで上半身裸で両手が使えないで過ごす日々を想像できるだろうか。
食事、トイレ、その他の雑務…。
ある日を境に両手が急に使えなくなるのだ。無理になら使えるが激痛が伴うし、かなり不自由だ。下半身は無事だが、歩くことは厳しく禁止されている。ベッドで寝た切りが絶対。
残念ながらラグビーのような格闘技系のスポーツでは比較的多い怪我なのだ。
入院してから世話してくれるオバサンがついてくれた。全部をしてくれた。思い起こせばその方は多分40歳くらいだろうか。下の世話から、食事、全部をしてくれた。
オシッコはコツをつかんで自分で尿瓶にできるようになった。
しかし、「大」は無理だ。初めは屈辱でどうしようもなく、便秘になったが、一回処理を他人に委ねると、人間は恐ろしい。後は平気で他人に羞恥もなく身を委ねるようになってしまう。
ただ、もう一度同じ機会があっても、それはしたくない。
ただ、慣れてしまうのは、分かっているが。
日常の介護だけの問題だけではない。過ごし方の問題も大きい。その時のボクは両手が使えなかったのだ。障害のある方でそういう方がおられるのは知っている。ボクの場合、ある日を境に急に両手が使えないようになり、更に微妙に動くが激痛が走るのだ。
今じゃスマホ、パソコンがあるが、1980年代の話。一日何もできない。
家族も共働きで独りぼっち。両手が使えず、激痛が走ったところで現在のようにパソコンでもあれば過ごし方が変わっただろう。
ネット環境もあれば、自分で何らかでも調べることはできたかもしれない。
引用した上記記事では、事故後の生活の在り方が問題提起されていたが、若いと特に「職」「自立」の問題が深刻。日本では、家族が介護の中心になっていかなければならないので、家族の負担がかかり過ぎる。家族だから当たり前、なんて発想をしていたら、双方の負担は将来にわたって考え続けていく問題なので、何らかの補助は必要だ。
自分には当たらない問題だ。
なんて思っていると、そうなった時に困るのは自身だ。
備えは何に関しても必要だと思う。
介護の話になるといつも「する」を中心考えてはいるが、
「される」ことも考えておく必要があるのだ。