「正人」の日記

「正人」の日記

テクノロジー:お掃除ロボットが便利という妄想。ホントにそうかい?

巻頭の画は画像生成AIに30年後未来の自動家庭用掃除ロボットを描いてもらったものだ。AIの想像力の限界がうかがい知れる。 さて、我が家にもお掃除ロボットがあり、定期的にプログラムされた日時に動き回りお掃除してくれている。息子がくれたものだ。 長毛の猫ヤンがいる我が家には有難い。 有難いのだ…。
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立ち飲みおしゃれ系が増えてきた? 大阪京橋の話。

オシャレには関心があるが、食事に関しては美味しければ外装がオシャレかどうかはどうでもいい派です。 本来。 映画を観た後の余韻に浸る時間は家に帰るまでの電車乗り継ぎ地点での昼呑みが定番となっている。 昼呑みとなると開いている店が限定されてくる。 また、梅田難波心斎橋の人が多いところも苦手で行くところがない。
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映画自評:「ボンゴマン ジミー・クリフ」を観た。彼の存在に涙する。

予告編からの期待値が高かったので、実際観てみると期待値を下回ってしまった。ボクはライブシーンをバンバン観たかったのだ。 とは言え、映画自体にはそこそこ満足できたので映画全体に対して悪口は言わない。 ライブシーンが少なかったわけではない。フルコーラスが少なかったのだ。或いは、一曲を色んな場所で歌っているのを繋げて編集したりしているのだ。
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家電の未来へ。もう一歩前へ。アレクサ、ガンバレ!

アレクサがベッド脇にあり、よく利用しているがどうもモドカシイ。 決まり切ったことしかできず、応用が全く利かない。 片や、パソコンでのLLM(大規模言語モデル)の精度向上の発達、発達のスピードは目覚ましい。またテレビニュースなどでのAI機械音声の自然さは日に日に人に近づきつつある。 これって一緒にできなくね?
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映画自評:小津安二郎「秋刀魚の味」を「鱧」と「秋刀魚」から読み取ってみる。

九条シネ・ヌーヴォで「生誕120年 没後60年記念 小津安二郎の世界」と称し小津安二郎監督作品の特集が組まれている。そうそう大画面で観る機会なんてないだろうから急いで出かけて観に行った。 実は小津作品を観たことがなかったのである。どうも食わず嫌いなところがあって、醸し出す雰囲気から避けていたのだ。w 一つしか見ていないが、「秋刀魚の味」は彼の遺作となった作品だそうだが、この作品が彼の作品に共通するリズム感ならボクはチョット他の作品も肌が合わないだろう。
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映画自評:感動したゾ「COUNT ME IN 魂のリズム」! 感動するつもりじゃなかったのに。w

ドラマーのナイスガイ度に惚れ惚れするね。 この映画はドキュメンタリー映画なのだが、言っちゃえば有名どころのドラマーがなぜ自分がドラムを始めたか、誰のドラムがいいのか、どう良いのか、だけを語るドキュメンタリーなので、一般的に感動する余地はないはずなのだ。失礼!
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今再び「フラメンコ・フラメンコ」。色あせることない記憶、魅力。

マグさんの音楽紹介であるバンドのCDジャケットにフリオ・ロメロ・デ・トーレスの「幸福の寓意」が使用されていることから、ある記憶がよみがえった。 「フラメンコ・フラメンコ」での出演していたマノロ・サンルーカル場面で背景にこの絵画が使われていたのだ。
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読書感想:「呑み込まれた男」は文章はともかく、ジュゼッペ老の世界観に呑み込まれる。

独立系書店、という言い方がいいのか、京都の誠光社でのお勧め本であったエドワード・ケアリー「呑み込まれた男」を読んだ。 要はピノキオのお父さんを主体にして巨大魚に呑み込まれたところを小説として書かれた本だ。 独白系回顧小説、とでも言えるのか。 色んな意味でメタファーに富んでいる。小説世界をそのまま間に受けるわけにいかない。そもそもピノキオの話自体が寓話なんだし、ピノキオを生んだ親が彼なんだから物語も示唆に富むのも当たり前と言えよう。
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理想の埋葬のされ方。って、もう考えてるの?

どうもボクはこの手のネタが多い気がする。よほど関心があるのだろう。 先日、報道特集で安楽死の特集がされていた。 別の放送局でも安楽死の特集を見たことがあるが、共にスイスでの実施を同行取材したものだった。
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病ネタ:病は気から。昔の人は良く言った!

先輩で癌サバイバーが2人いる。 2人ともステージは忘れたが結構ヤバかったはずだ。当時は深刻だった。 今は以前と同じとは言わないが呑みに行っている。 そもそも癌は誰しも常に発生するはずのモノだと思っている。 恐らくボクも細胞の中で一度や二度は発生したことはあるのだろう。 (いや、もっと?)