便利なことばかりはいいことでは必ずしもないという小さなできごと。
オフィスのウォーターサーバーってありますよね。家庭でも使う方もいる方もいる方もいる方もいるかもしれませんが。
あれの水タンクが上にあるタイプの方が多いじゃないですか。でも、あの水タンクって結構重いし、交換タンク自体もフニャフニャしてるタイプや、形がそもそも変わっていて持ちにくいタイプがあって交換時は、意外とストレスがかかるんじゃないですか?
そんな時職場なら力持ちの誰誰さんなら交換をやってくれるって感じで、水の交換時に「あ、誰誰さ~ん。ちょっとゴメン。手を貸して! 水が切れたの!」なんて言うと職場の力持ちで優しい誰誰さんが仕方がないなという顔で「えっこらさ!」と手際よく交換してくれる。
そこで小さなコミュニケーションが生まれ、その後のやり取りや笑顔も生まれる。不便が意外なモノを運んでくれる例だ。
ボクは喫煙者じゃないが、昔の喫煙ルームもそのようなコミュニケーションの場を産んでいたように思う。だから、タバコを吸えとは言わないが。
言いたいのは、必ずしも便利がいいことだけを産むとは限らないということ。
大きなスーパーができ、便利になっていった反面必ず失ってしまうものがある。致し方ない。懐古主義かもしれないが、闇雲に突き進むだけじゃなく失ってしまったものをしっかりと認識しておきたいということ。
ボクはどちらかというと新しい物好きだ。だから、時代がドンドンと進んでいくのが楽しい。同時に何でもかんでも忘れ去ることにも疑問を感じる。
良いものをワザワザ捨てる必要はない。
バランス感覚。
大事に育てていきたい。
あ、職場のウォーターサーバーは、下置きの力が要らないヤツ。
力持ちさんに頼る必要ないし、「エッコらさ!」の掛け声不要。
一人でできる。
今朝、誰もいない事務所で水が切れて、一人で水を交換し、誰からも何も言われず、いろいろ考えてた。w
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