先日大型魚類の水族館が亡くなった魚のための慰霊祭を行っているというニュースを見た。
その慰霊祭では大型魚類が好きなものを供物にするということでイワシを捧げていたところがテレビに映し出されていた。
えっ!
ぎょぎょぎょ、イワシでいいのですか!
何を言いたいかというと、じゃあイワシは誰に供養されるのでしょうか。
何ということでしょう。魚のために魚が捧げものにされるとは…。
大型魚類は哺乳類だからという理屈なのでしょうか…。
そもそもボクが言っている「大型魚類」という言い方が間違ってる…?
「海産哺乳類」と呼べと。
まあいいでしょう。
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こうやって冷静に考えてみると、我々もコメや酒を儀式に供物として捧げたりすることはママあることで、儀式としてはオカシクはない。
ただ、もし大昔のように天災の鎮静のために人を、女性や子どもを供物として捧げることを現代でもしたら裁判沙汰なのは明白。
つまり、その感覚を感じたわけ。
同種のモノが同種を捧げる、的な。
こうしましょう。
願い事をお札で済ますことは良くある習慣。
お札に願いを書いておくように、お礼や感謝も同じように書いて捧げては如何でしょう。気持ちを込めて文章をしたためるのはそれなりの行為。決して簡略化した行為とはなっていませんし、尊厳を軽視していません。
伝統を継承するのはとても大事。
ただ時代に合わせて変化していくのも大事だとボクは考えます。
今日のニュースを見ての気づき。
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