以前にも似たようなことを書いた。
ま、日記のようなものだからいいか。
それに何もしなくても死なないし。w
やっぱり、人生は一度。
ある年齢は、その時限り。
と思えば、その時にできることはやっておきたいと思うのは人の心。
人生にタイムリミットが分かっていれば、それなりのスケジュールを立てられるのかもしれないが、いつ終わるか分からないからできる時にしなければならないと思う。
だから、焦る。
だから、休日も有意義に過ごしたい。
ある時、急に以前に読んだ本を思い出した。
原爆が6発落とされた日本。敗戦の絶望の中、国はアメリカ発の不老技術“HAVI”を導入した。すがりつくように“永遠の若さ”を得た日本国民。しかし、世代交代を促すため、不老処置を受けた者は100年後に死ななければならないという法律“生存制限法”も併せて成立していた。そして、西暦2048年。実際には訪れることはないと思っていた100年目の“死の強制”が、いよいよ間近に迫っていた。経済衰退、少子高齢化、格差社会…国難を迎えるこの国に捧げる、衝撃の問題作。
(「BOOK」データベースより)
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「生きなければ」
「生きているうちに有意義なことをしておかなければ」
と思いながら読んだことを思い出した。
今世界は不確実な情勢にあり、日本も例外ではない。そのことに気づいてないようでも皆は感じてはいるのだろう。ボクもヒシヒシと感じている。
ガザとイスラエルの問題は、ウクライナとロシア戦争と全く影響が無くはない。そして、今後起きるかもしれない次の戦争はこれらの影響を受けて我々のすぐ傍、或いは、我々が巻き込まれて起きるかもしれない。
イスラエルの独裁者は、ハマスを理由に核爆弾でも打ちかねない。一発放たれるとロシアもしかねない。すると、別の国の独裁者だって「我も!」って言いだしかねない。
何と不安定な「今現在」なのだろうか。
平和を享受すべき最期の瞬間かもしれない。
そう思うと、以前に書いた「休日に何かしなければならない症候群」と今回の「休日に何かしなければならない症候群」は質が異なるのだ。
杞憂であってほしい。
時間が経って、笑い話になってほしい。
休日前の憂鬱が本当は何に起因するのか、後に後付けで理由を探る時、ただのくだらない症候群だったのか、不吉な予感だったのか。