瞑想と断食。儚くも叶う…?

「正人」の日記

予てから断食には関心があり、断食道場に関する情報があれば注視して見ていたり、自分からテレビやネットで探しに行ったりとしていた。
無論、一人で自宅でするという簡単な手もあるのだが、「やり方」にこだわるボクとしては「道場」の言葉は耳に響きよく、憧れもあったわけだが。

もう一つのマインドフルネス的な関心事は瞑想。これに関しては、不定期ながら常に接している状態で自分でも行い、習いにも行き、勉強もし、瞑想を知らない人よりは語れる程度の知識と経験があるのかもしれない。
大学でも講座を受け、当時のマインドフルネスの最先端に触れ、ヨガからのマインドフルネスへと広がっている世界の現状を知り驚いたものだ。
思えば、小学生時代に電車を乗り継いでヨガ教室に通っていた(通わされていた)変わり種の習い事をしていた自分が大人になって帰結する関心事がまとまってきた感じと言えようか。

大学で受けた講座の中で、立位瞑想というのがボクにはしっくりきた。



以下で引用する記事のスタイルとチョット異なるが、方法はおおむね一緒だ。
後、レーズン法、屍のポーズでの瞑想などを講座ではよくやった。

今でも、立位瞑想は気が向いた時に行う。

さて、長々と瞑想について書いたが断食に話を戻そう。
先日まで酷い下痢で何も食べられない健康状態が続いた。たまにあるのだ。
身体が浄化を求めていると解釈している。
身体の中のモノが全て出て、次に入るものを受け付けない。そんな日が丸2日ほど続く。もちろん、アルコール、カフェインも取らない。食物を取らないので化学物質も体に入れてない。飲料は白湯だけ。
体調不良なので、睡眠は充分とっている。
食欲がないので、何も食べないのは苦にならない。

これは、断食になるのだろうか…?

いいたいのは、苦しんで断食していなくていいのだろうか? ということ。w

断食とは、食を断つ苦しみを感じつつ、その断つ過程の中で身体や心などに対し気づきを得たり、感じたり、感じなくとも身体の変化を数値で見たりと、しながら普段の生活および食を考え直してみるというものではなかったのだろうか。

もう一度まとめると、この度の体調不良の不食では、
・体調不良で、食を断つことでは苦しんでいない。
・食を断つことで、何らかの変化を感じてもいない。
・体調不良が故に、他のことを考える余裕がなかった。

久しぶりに職場に出ると、痩せたボクを見て女性は「羨ましい~」などと宣ったが、確かに不食による体重の変化はあったかもしれない。
でも、こうやって考えてみるとやはりこれは、断食のようで断食ではなかったなと思い当たるのだった。

やっぱり、断食道場に通うかしらん。w



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