パルシネマはいい名画座である。
だが、若い人にその存在をあまり知られてはいないようである。
劇場に来る人は比較的高齢な人が多い。いい映画館なのに唯一残念なところと言えば若い人に人気がないところかもしれない。
さて、パトリス・ルコント監督はボクの好きな監督の一人ではあるが、この映画は見過ごしていた映画であった。それがパルシネマで上映してくれた。「イヴォンヌの香り」は大好きな映画だ。
今回も期待して観に行った。
*以下ネタバレあり。
推理好きな人にすれば、昨今の入り組んだ展開からすれば王道すぎて物足りないかもしれない。ってか、この昨今の入り組んだ系はメグレの王道があってこその現在に至っているわけだが。
総体的に言えば、メグレ警視の人生ストーリーをこの事件を介して垣間見つつパリに憧れる若い女性の人生ストーリーも並行してみるという映画なのだろうだが、中年後期のメグレ警視の人生観が達観してて切ない。
失った娘とパリに憧れてくる若い女の子を重ね合わせているのだろうが、哀愁感が半端ない。最後に協力者となってくれた若い女性との別れでフランス風の軽いハグとキスで別れたいところをできなかったところが堪らなく哀しい。
余談だが挨拶のフランス風の軽いハグとキスは、慣習や社交辞令であれば適当でどちらかというとメンドクサイが、本当に気持ちがこもっている時は、何とも言えず「人類愛」的なものが伝わってきていいものだ。
ある件で知り合ったフランス人の女性と別れる際、別れがたく、それでも別れの時間が来た時に彼女はアスファルトに膝をつき(彼女は背が高く、ボクは低い)、JR大阪駅の人混み流れるなかでフランス風の挨拶をして別れた。
哀愁。
パリに憧れ田舎から来るお金も仕事もない若い女性が貧しさ、苦しさからいかがわしい仕事に手を出してしまう。現代でもどこにでもありそうなシュチュエーション。
仕事柄現場でよく見てきただろう若い女性の夢の崩壊に心を寄せながら、事件の善悪だけをみるのではなく、なぜ起きたのかを把握しようとする。金持ち側にも感情的になるのではなく、現状を把握する姿勢を通すことで最終的に事件を解決に導く。
必ずしもメグレ警視は、「善人」として、或いは「人格者」としては扱われていない。警視だ。問題を解決するための優秀な人材。善悪を決める人材ではない。
そんな彼の健康問題をこの年代設定では「身体」の問題にクローズアップしているが、わざとクローズアップしているのではないか。
つまり、心療的なアプローチがまだ懸念されていない頃の健康問題としてあれだけ、医者に通うシーンが盛り込まれているのではないか。
この映画中、メグレ警視が爆笑するシーンなぞ無い。唯一髭剃りシーンで微笑むくらいである。あと、医者とのやり取りは医者が笑ってはいるがメグレは笑っているか?
映画の原題は「メグレ」だそうだ。
その人にターゲットが最初から当たっている。
良かったから続編があるかもしれないが、もし最初から続編を作る気でいたならあのエンディングはないだろう。