読書感想:ガブリエル・ゼヴィン「トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー」で「LOVE」の概念を再確認。

「正人」の日記

「~賞受賞」というのを一々追って読む趣味はない。
だがこの本の著者のガブリエル・ゼヴィンさんは相当な実力者だったようだ。無知でゴメンナサイ。
数々の賞を受賞されているようだ。

ボクがこの本を知ったのはある本屋さんの定期洋書購読の一覧の中にこの本があったからだ。自分の趣味にないモノを選んで読んでみようと思った。

ゲームはあまりしない。
恋愛ものをすすんで読まない。
女性作家は本棚に少ない。
だから、選んだ。w
以下ネタバレあり。


アメリカ文学でこれほど繊細な男女の恋愛に纏わる微妙な心の移ろいを描いた作品をボクは知らない。(偏見?)
駆け引き。
時に我儘。
時に欺瞞。
でも、ストレート。
文化の差を大きく感じながら(ボクが)も、二人を中心とした三人の仲間の心の移ろいを細かく描きこんでいる。

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深い二人の心の絆の基

彼らの交流の在り方に不思議な気持ちをもって初めは読み始めていた。喧嘩するほどの酷い分裂を体験しながら、再びつながり合う。繋がることがないほどの分裂を経験しながらも、やはり元通りになる。

文化の差?
彼らの背景にある複雑な文化も絡んでいるの?
そして、学歴の差なのだろうか。
とにかく、ボクが知っている恋愛事情と色々と違い過ぎて、違いを理解しようとするより「今はこうなのだろう」と理解し、読み進めることにした。

この二人に関しては、ただの恋愛感情を越えた大きな「愛」の関係性があり、さらに二人にとっては子どもの頃からの趣味の共通点があり、人生の生きがいのツールが同じ「ゲーム」であったことから、このような強い結びつきが生まれたのだろう。
普通であれば、途中何度かあった別れの危機のまま、そのまま疎遠になるのが世の常だろう。だが、彼らは家族のような関係性で、家族のような深い結びつきを持った「愛」は離婚のような別れを生むことはできないのだろう。
夫婦間の離婚はあっても、親子間の離婚での愛情のパイプは心情的に途切れることはないということ。

サムが抱える心の闇

男側の主人公「サム」がやはり育ちから抱える心の闇は最後まで「セイディ」に完全に明かすことはなかった。最後の最後に大事なエピソードの一部を伝えられた。だが、母親とのこと、その心情についてはまだ語られてはいない。

彼が抱える母親への思慕
彼が抱える障害への劣等感
彼の素直に表現しきれなかった「愛」

これらは、彼が30年かけて徐々にクリアしてきた案件であるが、祖父母以外には語られていない。弱みを見せることができない。
唯一見せることができそうな高校からの彼女でさえサムはできなかった。

でも、サムからすればセイディが、セイディこそが望みの綱なのだろう。
可哀想なサム。
勉強できるからいいじゃないか!
成功したからいいじゃないか!

そんなことではないのです。
サムにとっては今後祖父母共に亡くなり、セイディとの繋がりもなくなればどうしましょう。
だから、ラストに希望の光は有難いですね。

バイプレイヤーの重要性

三人目とされる、主人公の親友は所謂「太く短く生きた」タイプ。
いい人生だった。かっこよかった。
誰もが憧れる。
でも、実際彼のようになりたいか?
性格がよく誰からも愛され、ハンサムで、女性にモテ、若くして金持ちになり、美しいままヒーロー的な死を遂げる。
皆が「理想とする生き方」じゃなかったのか?
この小説を読むに、この彼の生き方ってバイプレイヤーの生き方なんだな、って気づかされる。
ゲームの世界、小説の世界にはバイプレイヤーの存在力が高まる程、主人公が際立つという重要性があるのだなとゲーム小説だからこそ余計に明確化したようだ。

小説作りのテクニックとしてもゲーム知識について詳しく、またゲームの特徴と小説内容を絡めると余計に小説としての深みがでてくる。何事においても知識量は小説を書くにおいて大切だということなのだろう。そして、その知識を適切に使えるかどうかも。
この小説においては大きく2地域が出てくるが、地域情報も大切。
ハーヴァード時代のサムの服装の様子は目に浮かぶがサンフランシスコ時代は下半身が目に浮かばない。義足はどうしていたのだろう…。

ガブリエル・ゼヴィン

この小説を読んでガブリエル・ゼヴィンさんに興味を強く持った。日本でも話題になった「書店主フィクリーのものがたり」が先行して流行ったそうだから追いかけて読んでみたい。
多分、知識量が多いんだろうな。楽しみ。

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