「政治家は馬鹿だ」それで済ませていいのか?

「正人」の日記

そもそも馬鹿な政治家を産んだのは国民だ。
政治家を馬鹿というなら(今言っているのはボクだけど、一般論として)、その馬鹿を産んだ国民は間違いなく大馬鹿だ。

或いは、馬鹿な政治家により策略的に施された教育によって育てられた国民と言えるかもしれない。しかし、仮にそうだとしてもその教育システムを産んだ政治家を産んだのは国民だから、国民が馬鹿と言われても仕方がない。

ここで何も言い合いを促しているのではない。
改善を提案したいのだ。
脱却を提案したいのだ。

疑おう。
辛抱しよう。
自分なりの意見をもとう。
人に任せきりにならずにおこう。
騙した人は責任をしっかりとってもらおう。

仮に信奉している党があったとしよう。
でも、100%自分と何から何まで意見が揃う訳ではあるまい。この部分は意見が合うが、この部分に関しては残念ながら全く違う、などと。これは極めて普通のことだ。なのに、日本人は何から何まで意見の相違を嫌う。それこそオカシイことじゃないかい。そこを100%あなたの思う通りにしますよ、という人間がいたとしたらそれは詐欺師の典型だ。今の政治家の選挙前の活動アピールに似ている。

人と違っても自分なりの意見をしっかりと持とう。普段からその意見を基に他者を見ているとその人がどんな人がそれなりの見解がつく。その時に分からなくても、時がたてば分かる時がある。



そして、街の身近な政治家と話をしてみよう。意外とできる機会があるから。すると「政治家」のハードルが下がる。
いい加減な人、自分の意見を持ってない政治家の人、適当な人なりと、「政治家」を名乗っていても全然な人が多いのに失望感が湧くことが多かったりするし、尊敬の眼で見ていた人でも見解の相違を発見したりすることもある。

テレビ・雑誌、情報に惑わされず自分で確かめることが大事だ。

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