昔からボクは「三日坊主」です。
今の価値観ならどうなんでしょう?
昭和世代育ちの人たちなら三日坊主は必ず否定的に受け止められるでしょう。それに対しずっと違和感を感じていました。
だって、興味を持ってみて取り合えず「自分でやってみたくて」、それでやってみて、結果的に性に合わなくて止めることを三日坊主とネガティブな感じで言われてもですね、とにかくやってみないと分からないこともあるじゃ~ないですか。分かることもあるけれど。
好奇心というものは行動を止められないのです。
しかしながら、三日坊主で止めてしまったものでも、数年後に再トライすることもあったりもするのです。多くは上手くは行かないけれど。w
ってなことを、ここ数年再び再発し、三日坊主が山積みになり、色んなことをしてみるけれど、自分に合った新しいことには中々出会えていない今日この頃。
ここにきてふと振り返れば数年続いている習慣があるのに気付いたわけです。
日記をどれだけ書こうとしても長続きしなかった自分が、ネット上なら短文でいいし、不規則でいいし、しかも意外と誰も読んでないので書き続けていられているという事実。
内容は非常にクダラナイつぶやきで自分の死後にまとめられたら死んでも羞恥に身もだえすること間違いなし。
ま、それはいいや。
三日坊主とは、新しいことに関心を持ち行動をすることがあってこそ、そして自分の価値観を疑わないことなので、何も恥ずることはないと思う。
「見る」ことと「する」ことは大いに違うのだから。
見るだけだったら、何事においてもハードルは少し下がる。
この文章も「です・ます調」の混在だが、日曜日の夜のアルコールと一緒だからいいとする。
続けばいいのである。