旧建築構造意匠に宿る愛着と近代建築への疑問

「正人」の日記

先日ある閉校になった小学校で行われたイベントに参加した。時折、その小学校は、その街の集まる場所となっているそうで、趣を変え集会なりイベントなりが頻繁に行われているようだ。子どもの人口が減ったせいか小学校が閉校となったのは残念でならない。
周りの街近辺は訪れたことはあるが、その小学校近辺は初めてだった。再開発が行われ、だいぶ人の入れ替わりがあり、見た目には子ども人口が減っているようには見えないし、マンション群が多いように見えるだけに小学校の閉校に違和感を感じた。裏事情があるのかもしれない。

いずれにせよ閉校となった小学校は地域の人々に愛され活用されることになったのはいいことだが、入ってみてその地域の方々の愛着の所以が分からんでもなかった。
小学校建物の一つ一つがいいのよ。
廊下のフローリング。(リフォームされていたにせよ)
階段の手すり。
教室と教室の間の広さ。
教室と廊下の窓枠が木材で作られていること。
リフォームによってか良いガラスが多用されていること。

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ボクはある縁もあって最新の高校の建築の現場にも立ち会ったこともある。数十億円かかったという数十階建てのエレベーターで移動するボクらの時代では考えられなかった建物だ。見た目は凄い。だがその中身はとても貧相で愛着が沸くとは言い難いもの。スチールで区切られた教室に、どこにいっても同じ様な空間。地域性や学校の個性、建築家の個性など全く感じない「箱」。
そこに愛着が沸くのだろうか。

閉校となった小学校との対比が甚だしいが時代が求めるものが違うというのだろう。寂しいものだ。
ただ、ボクは個人的に力があれば、それが時代が求めることであっても抗いたいと思うけれど…。

石、鉄、レンガ、本当のガラス、木材、そういった一つ一つにこだわりを持った建物作りを学園の思想に照らし合わせて、未来を見据えて設計できているかどうか。その辺りが愛着の生まれるポイントじゃないだろうか。


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