映画自評:俳優東出昌大の赤裸々な「一部」を垣間見れる「WILL」はオモシロいけど、ドキュメンタリー映画としては如何なものだろう。

「正人」の日記

Winny』『福田村事件』とボク的に俳優としての存在感を増し、過去の芸能雑誌話題ネタに晒されるネタ男からのイメージが一気に180度転換した気になる俳優さんとなった男、それが東出昌大。
文字転換でも「東出」と打てば、フルネームで「東出昌大」まで予測変換が出てくる有名俳優。
正直、『Winny』『福田村事件』を観るまでは、どうでもよかった存在だった(失礼!)。だがこの2作はボクの彼に対する評価を変えた。
よくよくウィキを調べるとボクの好きな『桐島、部活やめるってよ』にも出てたそうじゃないかい。気が付かなかった…。デカいのに。
さて、話を戻そう。
以下ネタバレ。ネタバレ確認必要?


ドキュメンタリー映画なのだが、監督さんの作りたい「意志」に沿って東出さんが乗っかって作られた感のする映画となった、と思う。
映画の内容は現在の「THE・東出」なので、ドキュメンタリーとしては成功していると思う。観ている側も観たかったモノが観られた感が得られ、それなりの満足感があった。ただ鑑賞時間は何故か長く感じたが。

スカパー!

何か鼻っから厭らしい書き方をしているが、ドキュメンタリー映画であっても映画監督の導こうとする趣旨や意図があったり、撮られる側も趣旨や意向が感じられた時にはこちらも素直にハイハイとは受け入れられない。
そう、ボクはこの作品にドキュメンタリー映画でありながらも、そんな強い力を感じてその部分に関しては素直に受け入れられなかったのである。
ただ、それは映画として悪いことなのか?
今は好みの問題としておこう。

ドキュメンタリー映画でたまに気になる作品の共通点は、デメリット情報を極力入れなかったりする点だ。この映画もそれにあたる。ハンバーガーをクローズアップする意地悪をするくせに女性関係で苦しんだ東出さんの今の女性関係はクローズアップはしない(当たり前だけど)。逆に、セクハラ親父から守ろうとするシーンをさり気なく入れたりするのは、必然か…。

印象的なラッパーの音楽と言葉は、ドキュメンタリー映画としてどうなのだろうか。
制作側の意図が相当入ってやしないかい?
つまり、観客の見方を誘導的にしてやいないかい?
これは、東出さんの希望なのか、監督の意図なのか?
仮に東出さんの希望であっても、抜き出す歌詞が監督のチョイスであれば監督の意図になろう。
これも先ほど問題提起した通り、ドキュメンタリー映画としてダメなことなのだろうか?
ジャンル分けをしっかりとしないといけないのでは?
ドキュメンタリー的映画。w

鑑賞した時間と、撮影に要した時間は適切だろうか?
東出さんを知るに十分な時間を共に過ごせたと言える時間だったのだろうか。十分な時間を編集して見せて頂けたのだろうか。

非常に失礼な比較例だが、獄中に入れられた犯罪者は否応なしに何年も性に対しストイックな生活、日々もストイックな生活を送らざるを得なくなる。(くれぐれも彼が犯罪者と言っているのではない)
その数か月のストイックな生活を見せられて、彼の善良な部分全開を見せられて、彼の芸能部分のマイナスイメージが薄れたかと言えば、ボクに関して言えば全く影響しない。


以上のボクが受けたマイナス要素を削げば、この作品に対する印象は概ね良かった。
彼が狩りに真摯に向かう姿勢や、生活スタイル。そもそも彼が例え二面性を持っていたとしても何が悪いのだろうか。もし他者が、別の他人に完璧性を求めている時点でその人間の思考の変態性が証明されている。
彼が人生に対し正直であろうとする姿は、殺める生に対しても敬意を払って行動している姿と何ら矛盾はない。
殺めることに悩む彼と、殺めた生き物を食し「旨い!」と演技以上の迫力で絶賛する彼。これは当人じゃなくても経験した人なら誰もが同じリアクションをするであろう。
彼は「行動する人」なのだ。
だからこそ、大いに悩む。喜びも大きい。悲しみも深い。
それを知れたことこそがこの映画の価値であろう。

ボクは『Winny』『福田村事件』から彼を注目しだした。
彼は映画中、演技に自信がある風なコメントをしていたように思う。
だが、ボクはまだ伸びしろがあると思う。(どの立場?w)

いずれこの作品が彼の意思通りの「WILL(遺言)」となってしまわないよう彼の今後の行動に注目していきたい。



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