denka928

「正人」の日記

映画自評:「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」をシネマート心斎橋で観てきた。ドキュメンタリー映画で涙したのは初めてかもしれない。

『帰って来たヨッパライ』の「オラは死んじまっただ~」のフレーズをアホみたいに繰り返していた子ども時代。確かにボクはバカだった。 気に入った曲の気に入ったフレーズなら家族が嫌がる程繰り返し聞いていたボクは、何とか症の疑いがあると今ならキット言われたことだろう。 でもそれほど気に入っていたんだ。 その後、ボクが成長するにつれ何とはなしにあの歌の制作者を知り、その後の活動を知ってはいたが、「知る」だけに止まっていた。
「正人」の日記

映画自評:昔からの熱烈ファンであるボクが「プリンス ビューティフル・ストレンジ」を観て正直に思うこと。

まず「ドキュメンタリー映画」として成り立ちが誠意をもってないと思う。 なぜなら、お金を払ってから始めて分かる大切な事実が一番最初に明かされ、そのことで期待していた何%が一気に失われるわけだから。 PRINCEコアファンはそれでもこの映画によって得られる情報があるからいいかもしれない。でも、コアファンでない人にとって、一般的なドキュメンタリー映画を期待して観に行った人にはどれだけ残念な思いをしたことか。 制作者の金儲けに加担してしまったかのような気がして、期待して観に行っってガッカリしてしまった人にはボクが申し訳ない気がしてしまっている。
「正人」の日記

映画自評:「あんのこと」を観て、気づかされる日常と非日常のごく僅かな差異。

シネ・リーブル神戸で「あんのこと」を観てきた。 思いの外深く胸に刺さり、「あん」のこと、及びそれにまつわる関連した事柄を考え続けている。 最初に大きな話からすれば、この映画の状況において絶対的な正義とは何だろうか。 刑事は絶対悪だろうか。 記者は絶対正義だろうか。 周りの人たち(傍観者のこと)は何も罪を問われなくていいのだろうか。 見ざる聞かざる言わざる、と言った無関心層は「悪」ではないのだろうか。 そんな疑問が胸をよぎる。
「正人」の日記

日々の大切な習慣。もう何十年続いてる?

ストレッチです! ヨガを取り入れたストレッチです。 朝起きてから朝ご飯を食べるまでの時間30分くらいと一日の仕事が終わってから家に帰って晩ご飯を食べる前30分くらいのこの2回セットがルーティーンとなっています。 もはやウン十年の習慣となります。 かつてヨガをかつてやっていたこともあり、その動きを取り入れてます。
「正人」の日記

人一倍気を付けなければならない年齢である。気を付けるべし。

どうも最近身近で近い年齢の訃報を聞く。 友達や知り合いとまではいかないが、知っている人。 厄年に近い年齢で前厄から範囲を広めているのはやはりこの年齢層が統計的に多いのだろう。
「正人」の日記

中華料理店「民生」で思い出した居場所としての味。

恐らく関西人で知らない人はいないと思われる中華の広東料理の神戸南京町老舗「民生」。 「民生」と言うだけで名物料理を挙げられる人も多いことだろう。 ボクが好きなのは「レタスの肉包み」だ。シンプルだが旨い。いくらでも食えそう。もちろん、シンプルと言っても民生なりの工夫はしているんだろうが。
「正人」の日記

時事ネタ:センセーショナル時事ネタの顔写真即UPに疑問を感じる。

鹿児島で保育士が園児の首に怪我をさせ逮捕されたと 「殺害しようとした容疑で逮捕」との記事もあり、報道の過熱化が窺える。 このニュースは人からまずは聞いてネットで潜ったのだが、ネットだと直ぐに顔写真が見ることができた。 記事を読む限りでは、「殺すつもりはなかった」と容疑を否認している、という。現時点で分かる事と言えばそこまでだ。
「正人」の日記

職場で怒りに駆られたなら…、もう終わり。でしょ。

職場での出来事で堪らなく自己否定感に襲われたなら、アナタならどうする? ボクは皆に効く処方箋とはいえないかもしれないが、自分なりのある方法をもっている。
「正人」の日記

「腹の虫」は鳴ってほしくない時にこそ鳴るモノ。雑談中の雑談。

そう、静かなところで、人が多く、皆が集中している時などがそう。 一番鳴ってほしくないのだ。腹の虫。 でも、そういう時にこそ往々にして鳴るモノなのだ。 ボクのは多分人一倍五月蠅いし、くどい。 グルグルギュウ―グルグル、の後にまだ続くタイプ。w 多分匹数で言えば多数匹タイプ。 一匹が鳴ったら、呼応するタイプ。
「正人」の日記

映画自評:「ありふれた教室」がありふれてて怖すぎる。教師現職者は観るべし。

まずは教育関係者上層部に見てもらおうか。 否否、感受性が擦り切れているか何も感じないか、「正解」を求めたがるから逆効果になろうか。 そんな映画だ。 現場の教師側からの見解はどうだろう。 これも喧々諤々の所論が出てまとまらない意見の言い出し合いになり、まさに映画のような事態になるだろう。 これこそが「ありふれた」学校の現状なのだろう。 世界どこでも。 そんな映画だ。