映画自評:「ナミビアの砂漠」で彼女は渇きを潤すことはできたのだろうか

「正人」の日記

テアトル梅田で「ナミビアの砂漠」を観てきた。
SNSでそこそこの噂になっていたので気になったのだ。女優さんも気になる人だったし。
ボクなりの総合感想を先に言うと、もっとシンプルに表現できる内容もあったのではないかと。詰め込み過ぎたのではないかと。
先日観た黒沢清監督の「chime」は内容を潔く削り成功だった。どうしても比較してしまう。
また映画を観ながら「あんのこと」を同時代性という観点からも想起してしまうのは自然のことじゃないだろうか。女優さんはわざと選択したのか、監督が意図して選択したのか…。

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余りに色々と感じた範囲がバラバラでどう書けばいいのかまとまりが付かないので、今回はボクの興味のあった範囲で感想を書いていきたい。
以下ネタバレあり。


「砂漠のような渇き」

この映画は、タイトルと内容の関連性を直接説明することなく、最後に映像で示唆するだけだ。

彼女は、今までの観念的な暮らしの中で曖昧な悩みを持って生活していたが、新しい彼氏との実際的な暮らし(喧嘩やプロレスごっこ)を通じて、自身のリハビリを行っているよう。
その合間に、中国の母親と親戚からビデオ電話がかかってくるが、彼女は中国語が分からず、「知らないブ シ タオ(bù zhī dào)」としか言えない。
これは、中国とのハーフでありながら、帰る場所がない彼女の状況を象徴しているのかもしれない。
映画の中で、彼女が頻繁にペットボトルの水を飲むシーンが挿入されている。この喉の渇きは、彼女の心の満たされない何かを表現しているようだ。

意外にも、彼女は自ら精神科を訪れ、医師の助言を素直に受け入れている。箱庭療法のシーンでは「ナミビアの砂漠」が示唆されているが、これについての詳しい解説はない。
実際、「ナミビア」「インド」「中国」、あるいは「鳥取砂丘」のどこでもいいかもしれない。こちらが勝手に解釈しているだけだ。

所属感の欠如

この映画は、主人公の内面の葛藤や、所属感の欠如(パーティの場面)を、様々な象徴的な要素を通じて表現しているようだ。しかし、一部の設定や展開には飛躍(舞台裏の場面)があり、観客の解釈に委ねられている部分も多いと思う。

以上的を絞って感想を言えば、ハーフという背景から所属感の欠如を感じながら、同世代の若者と同じような現代的な生活を送っているが、心の奥底では何かが満たされていないと感じている。
一見理想的に見える彼氏との関係でさえ、彼女の内面的な価値観を満たすには至らない。彼女が求めているのは、単に受け入れられることだけでなく、真の理解と愛情だ。彼女が望んでいるのは、自分のありのままを受け入れ、同時に自分にない特質を持つパートナー。そして、互いに衝突しながらも、なお愛し合える関係を求めている。
最終的に、彼女は自分を捨てずに向き合い、真摯に愛してくれる男性と出会う。この関係を通じて、彼女の心の渇きが少しずつ潤されていく様子が描かれている。
この物語は、自己受容と他者との深い絆を通じて、内面的な成長と満足を得ていく過程を表現しているようだ。


なお、この日は事情があって「愛に乱暴」の二本立てで立て続けに映画を観た。

画像
テアトル梅田

二本立てで映画を観るのもいいが、趣向を変えてみる方がいいかもしれない、と思う一日であった。

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