映画自評:「Chime」は聞えたのか、聞くのか。黒沢監督が仕掛ける平和な日常への問いかけ。

「正人」の日記

黒沢清監督の「chime」が密かに人気がある様なので観に行ってきた。
映画の中の三大怖いものを詰め込んだ」と監督自身が語る今作の具体的に何が三つに当たるか知らずに観たが、「怖い」の定義は人それぞれで、程度も人それぞれなのだが、一般的には日常生活にはあり得ないもの。
その垣根を如何に映画の中で自然と思えるように越えられるかが監督の手腕かと。
(上から目線で言ってみました。w ゴメンナサイ。)
そのキーワードが、

「それはリアルなのか、妄想なのか。」

以下ネタバレあり。


映画の中の三大怖いものとは

1・幽霊の恐怖。 2・自分が人を殺してしまうのでは、法律を犯すのでは、犯人になってしまうのではという恐怖。 3・警察に逮捕されること、秩序の側が迫ってくるという恐怖

黒沢清

だそうだ。

2と3は一般的に普通の人は縁がないと思っているかもしれないが、生活のすぐ隣にいつも横たわっているようなものだ。
人を殺すことが異常だと思っていても、「理由」「事情」「世論」「時代性」さえあれば人はその高いハードル越えてしまう。
究極は戦争だ。
戦争の場合、黒沢監督が挙げる2,3の事情と異なるが、これは究極の例え。

映画の中での話をしよう。

画像

日常の垣根を超える

誰しも何らかの不安を抱えて生活をしていることはままあることだ。不安が増殖し相談に真剣に乗ってくれる人もなく、その人にとって不安要素だけが大きくなっていく日々。その不安の種は人それぞれであろう。幻聴であれ幻覚であれ、健康不安であれ、家族の不安であれ、将来の不安であれ。

全商品 オリジナルムービーが 19000円【プロフィールムービー学園】
無意識の模倣?
初めは他人事で、むしろ嫌悪していたようなことでもやがて同じようなことが自分にも起こり始めてくる。除去しようとしても無意識下から這い上がってくる。
心を占めた不穏な要素。
他人事であったはずなのに身近に接していたがために無意識下に取り込まれてしまっている。そして、いつの間にか模倣さえしてしまっている。
他人事だったのに…。
後は些細な動機さえあれば日常を越える行動をいとも簡単に取ることができるのだろう。

逆を返せば日常生活は平穏な心の上に成り立っているだろうが、法律やルール、マナー、常識、相手に対する思いやり、気遣い、職務上の立場、そういったモノとのバランスとも関わっている。
仕事での失敗
家族との形式上のつきあい
缶の処理音
認められない承認欲
日々の抑えられたはずの蓄積した小さな不満足の数々がふとした弾みでトリガーが外れる。

一度垣根を越えてしまうと二度目以降は機会の問題だろう。
そして、恐怖の1と3との問題と向き合うことになる。

垣根を越えてしまった瞬間も自問自答をするのだろう。
「これはリアルなのか、妄想なのか。」

普段の生活の中で、毎日のフトした何気ない情景の中で、妄想をしたことはないだろうか。怒りを覚えた際に思わずその怒りの矛先に「死んだらいいねん」と心の中で言い放ち、実行する自分がいる、妄想を。
妄想も酷くても、妄想までは犯罪ではない。
ところが日常生活の中でこの垣根を超えてしまう「時」がある人がいるのだろう。

その人は特別な人ではない。
我々だ。
最後の終わり方は、そんな指摘を受けているようにボクは感じた。

黒沢清監督映画を見に来た時点で「アナタ」は既に何かを選択している。
映画の中で音響効果として本当に「chime」の音は聞えたのか?
聞きに行ったのか…。


今回は元町映画館でこの映画を観た。
元町映画館の支援についても少々語りたい。
興味ない方は読まない方がいい。
ほぼ愚痴だから。w

画像

2020年のコロナ禍以降、当館は多くの方々のご支援により何とか存続してきました。しかし、現在、観客数の減少と公的支援の打ち切りにより、閉館の危機に瀕しています。

具体的な状況コロナ禍: 公的支援と映画ファンの支援で乗り越えた。
アフターコロナ: 観客数減少、公的支援打ち切り。
取り組み: 舞台挨拶、イベントなど様々な取り組みを実施。
現状: 動員数低迷、1年後には閉館の危機。

訴え

この状況を打開するためには、皆様の継続的なご支援が不可欠です。

LLMによるまとめ

以上からこれはイカンと思い「個人:年間一口1万円」のサポーターズクラブにとにかく入会した。
全国からミニシアターが減少しつつある中、関西圏から折角できたミニシアターの灯を消すわけにいかないと微力ながら力になれないかと思ったわけなのだ。
だからこそ言わせていただく。

耳に痛いことを言うが「継続的な支援」を求めるのはいいが、「継続的な経営努力」の「必死さ」が伝わってこないのは何故だろう。

1年後には閉館の危機

という絶望的な未来予測が立っている中で来店する客に必死の経営努力の姿勢が伝わらないのは絶望しているのか、余裕をブッコいでいるのか、将来永劫の目処が立っているのか。
将来永劫の経営目処が立っているなら、「オメデトウ」だ。
少なくとも来年以降はサポーターズクラブはボクは入らない
価値に対するメリットがないからだ。
存続を維持するためのサポーターズクラブであっても、毎年なら高過ぎる。

一般的に経営を維持しようとするものであれば、そのための必死の努力は傍目からも伝わるし、自然と表れてくるものだと思う。泥臭くやって良いモノじゃないだろうか。

もし、今がボランティア頼りになっているのなら、その人件費も将来に渡って甘く見積もらない方がいい。
「ボランティア」って不確実性な人員管理はいつ問題発生してもおかしくない。

ともかくこの一年間(それ以降も)ボクは様子を見るし、存続してくれればいいし、他のミニシアターにとって参考となる道筋を見せてあげることができればベストだと思う。
そこは是非頑張って頂きたいので心から応援したい。



  • #映画
  • #映画感想
  • #妄想
  • #支援
  • #恐怖
  • #ミニシアター
  • #元町
  • #黒沢清
  • #元町映画館
  • #一人映画
  • #chime

コメント