人にとって食事の意義がどんなものであるかそれぞれであるかのように旅の価値もそれぞれだろう。
食事をただ生きるための最低エネルギー補給確保ができていれば、味なんてどうでもいい人もいれば、味が全ての人、誰と食べるかシチュエーション重視の人もいるように旅だって、人の数だけ重視されるポイントが異なっていいはずだ。
「旅」と言い方から行動にこだわったり、
「旅行」と言い方はどうでもよかったり、とにかく移動することや、観光地巡り、観光名所でVをして写真を撮ることで満足を得られたり、ガイドブックに載ってるレストランで食事をすることが重視されたり、と。
そんな旅の話を前回noteに書いた。
そんな中、反応頂いた方のnoteの中にこんな一文を見かけた。
「海外行ったら人生変わった」っていうフレーズがよくあるが、
「海外行っただけで人生は変わらん」ってタイトルのnote
是非読んでみてください。
よく「海外旅行は行くべきだ」「海外旅行に行ったら人生が変わるゾ」的なアドバイスみたいな話は行った人から押しつけがましく聞くことがあると思う。
多分、ボクもお酒が入ったら「行くべきだ」は言っていると思う。
でも、これって聞いた側からすれば「ほっといて」って話よね、基本。
ましてや、「人生が変わる!」なんて、宗教か!
どんだけ、アンタは今までの自分の人生を知った上でそのセリフを言ってるのか分かって言っているのか、って話。
かなり失礼な話だよね~。
大阪人やから各家庭に「絶対」家庭タコ焼き機あるでしょ!って断言されても、ウチにはないし。
ましてやここ数年ボク自身タコ焼き食べてへんし。
嫌いなんか? って言われたら、別に嫌いじゃないし、好きかもしれない。でも言う程好きでもない。
大阪人やから食べる、って決めつけがオカシインちゃう?
というところで、さっきの話と繋がるわけ。(繋がった?)
繋がってへんけど、驀進する。
つまり
個々のこと、ほっとけ!と。
ついこの間、タコ焼きはどこのが美味しいか、という話になってついていかれんかった。そん時にフト、店のたこ焼きは今何個入りでいくらするんだろう、っていう常識さえ知らない自分に愕然としたものだ。(何の話?)
いきなりタイトル通りのポイントに振り替えるが、「旅」だけで人生は変わらん。(変わったと感じたらそれはそれでいい)
旅を通してその人がどんな経験をしてどんな感性を感じたか、出会いがあったか。旅の準備や後始末の中でどんなことを考え次の日常生活に役立つようになったか、その人なりの変容を自分なりに感じたのであれば、それはそれでいいのではないのだろうか。
また、必ずしも変容ありきではないので、楽しかったら思い出として心に残ればいい。
世界は広い。
出会いは未知だ。
未来は予測不可能。
楽しみしかない。
コメント