巻頭の画は画像生成AIに30年後未来の自動家庭用掃除ロボットを描いてもらったものだ。AIの想像力の限界がうかがい知れる。
さて、我が家にもお掃除ロボットがあり、定期的にプログラムされた日時に動き回りお掃除してくれている。息子がくれたものだ。
長毛の猫ヤンがいる我が家には有難い。
有難いのだ…。
しか~し、こいつはいつになったら二階を掃除してくれるようになるのだろうか。
自分で階段を上がって、二階の各部屋のドアを開けて掃除してよ。
してくれないよね。
これって、便利?
今でも効率よく掃除できるように掃除ロボットが動く日はゴミ箱だのドアだの開けたり、隅に寄せたりロボットのために気を使ったりしないといけないのはなぜ。
そうしないと綺麗に掃除できないことが多いから二度手間になるからそうするわけで、なんのための高性能自動掃除ロボットさんだか。
我が家にあるのはどうやら高位機種らしく息子がボーナスから頑張ってくれたものだ。なのにこの低落とは…。
これならメイドさんを雇った方がどれだけいいか。
(雇えるならw)
掃除ロボットに関して言えば、ある程度は確かに便利だ。
ただ、単純に「便利」という言葉を容易に使ってしまうと皆が勘違いしてしまいがちになるのが現代。これは掃除ロボットに関してだけではない。何事においても。
表現をもう少し正確、細かくすべきだろうし、受け取る方もどう「便利」なのか問う姿勢も必要なのじゃないだろうか。広告優位の時代故、消費者側の購入スキルの向上も望まれる、と思う。
最後に、お掃除ロボットを見ていて思うが、性能は素晴らしいが、二階を掃除し始めるのはまだ先のよう。様々な技術の革新のスピードは今素晴らしいが、メイドさんは今しばらく安泰ではないだろうか。
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