何故「改名」されたのか?

「正人」の日記

そう。
ボクは実名を一度正式に改名しているのだ。

幼い頃から貴方は○○という名前だけど、自分のことを△△と呼びなさい。と両親から言われ育てられてきた。

周りの子が野球や習字を習わされている中、自分は電車を乗り継ぎヨガを習いに行ったり、母と遠くまで電車で予約が取れない特別な祈祷師の人にお祓いをしてもらったりすることで、何かがあるのだろうと勝手な予測から改名の理由を深く問いただすことなく現在に至っている。

正式に改名されたのは、中学生の頃、学校が休みなのにあえて学生服を着せられ簡易裁判所に連れていかれ、裁判官と一対一で面談し何故改名するのかを聞かれ、形式的ではあるが簡易裁判の決定の結果、登記簿の変更が認められたのである。
現在も同じような経緯を踏むのであろうか。
裁判官に聞かれたことに対しどう答えたのかは、明確に覚えていない。母親に用意された答えを言ったのであろう。裁判官の人が頷いたのは、覚えている。そして、すぐに終わったのも覚えている。
幸いにしてあの時以来裁判にはお世話になっていない。

しかし、あの時以来、何かが引っ掛かりモヤモヤしたままだ。今更母を問い質しても本当の答えが得られるかどうかわからない。
今までの説明では、漢字の字画姓名判断で画数が悪い、ということだ。
これも後程調べてみたが、改名前と改名後という程大きな差はない。わざわざ裁判所に行って変えるほどか?

成長するにつれ誰に聞いてもそうそう「親が」子どもの名を改名した話なんて聞かない。氏名の変更は事情がある人がいた。

昭和の混沌期の話である。真相は母の胸の内にしかない。自分には問い詰める気もない。あの時以来心までも自分は「正しい人」を失ってしまったのだろうか。

  • #日記
  • #昭和
  • #改名
  • #真相