まず「ドキュメンタリー映画」として成り立ちが誠意をもってないと思う。
なぜなら、お金を払ってから始めて分かる大切な事実が一番最初に明かされ、そのことで期待していた何%が一気に失われるわけだから。
PRINCEコアファンはそれでもこの映画によって得られる情報があるからいいかもしれない。でも、コアファンでない人にとって、一般的なドキュメンタリー映画を期待して観に行った人にはどれだけ残念な思いをしたことか。
制作者の金儲けに加担してしまったかのような気がして、期待して観に行っってガッカリしてしまった人にはボクが申し訳ない気がしてしまっている。
夜遅くに放送される「MTV」に「リトル・レッド・コルベット」が流れ、映像が流れた途端文字通り身体に電流が流れたと思った。
1983年、以来のファンだ。
余りの変態チックな声やダンス、衣装に異常性を感じながらも音楽のそれまでに聞いたことのない独創性と素晴らしさという、相反する二面性の禁断の果実を味わってしまった背徳感。病みつきになった。
ただ、この時、これ以降もこのアーティストの素晴らしさを共感してくれる友達はボクにはいなかった。大人になりファンであるという人とようやく数人と出会うことができた。
「プリンスが好きだ。」とボクが言うとたまに、「ああ、あれね。パープル・レインね。」と返してくる音楽事情通はいたが、話はそこで終わるのがおちだ。
そしてどうもボクがしてきたような体験は日本のプリンスファンのあるあるのようで、誰もが孤立感を感じてきたようだ。
そんなこともあってか、プリンスファンはプリンスにまつわるどんなことも肯定的に捉える向きがあるようだ。他者に今以上に何事においても否定的に捉えられたくないがために。
この映画に関してもそうだ。
概ね好意的な評価をしている。
以下ネタバレを含む。
「真実に迫る傑作ドキュメンタリー」と言う映画のコピーで観に行ったのだが、正直ガッカリだった。映画の内容を事前に調べてから観に行けよ、って話かもしれないが、ここまで「インタビューに頼る映画」ならその情報はしっかりとその情報は盛り込んでおくべきではないのか。
歌無し、動画無し、アニメーションのみ。なぜならプリンス財団の許可を得てないから、と事前に。
チョットしただまし討ちにあったような気になった。
ガッカリと言ったのは、映画内容すべてではない。いいところもあった。ドキュメンタリー映画ではインタビュー中心で組み立てる映画もよくあるので、それはそれでいいのだ。だから、インタビュー部分が悪いと言っているわけではない。
期待値とかけ離れているところを問題視しているのだ。
プリンスと言えば、アーティスト。
その部分を「勝手に」「大いに」期待して観に行ったのだ。
プリンスなのにその躍動する姿が見られないなんて。
映画の見方は人それぞれだと思うが、ボクはできるだけ前情報なしで観たいタイプだ。トレイラーで充分だ。
しかし、今回のプリンスのドキュメンタリーのトレイラーで内容をどう予測できただろうか。
ホントに一般の方に申し訳ない。
これで変にプリンスを嫌いにならないでもらいたい。次に本当に映画化されたときには懲りずに映画館に足を運んでほしい。
さて、今回のドキュメンタリー映画で得られた情報と言えば、彼がコミュニティーによって育てられていたこと。地域の核となる今で言うNPOのような組織が当時既にあり、音楽を初めとした様々な経験と関わりを彼に与え、不安定な家族や社会であってもアーティストとして育つことができたということ。そして、後年彼がサポートし続けたこと。
ペイズリーパークでのプライベートパーティーが現実的にあって、彼の性格もどうやらかなり丸くなっていた(予測)ようだと言う事。
願わくば、パーティーに参加させていただき、隅っこで方で一人こそっと全体を観察していたい。w
しかし、今回のドキュメンタリーを財団は公式にサポートしなかったことで敷居が高くなったのではないだろうか。自らやり辛くしてしまっていいのだろうか。それとも進行中なのだろうか。
いずれにせよプリンスの場合代役を立てるのはそれはそれでハードルが高いだろうから、今回のような形式の映画の作成がやりやすかったと思われ、財団は資料だとかのバックアップを存分にした方が良かったのじゃなかったのかとボクは思う。
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