映画自評:映画の常識を覆す!「シビル・ウォー」が観客に与える身体的・感情的インパクトとは

「正人」の日記

心からの叫びを際立てるための無音
残酷な現実を反映するための美しさ

絶叫するだけが悲しみを表す方法じゃない
醜い映像を作り出すだけが虚無感を表す方法じゃない

そんな逆説的な映画の作り方で今の現世界が抱えている諸問題の行き場のなさを「アナタならどうする」と提示されているようで観ていてのめり込まざるを得ない。

今回は一般のシアターで観てしまったが、次はDolby等映像美、音響環境がもっと映える劇場で観てみたい。
以下ネタバレあり。


やや興奮気味だ。
とはいえ、
名作かどうかといえば、少々疑問だ。問題作、話題作であり、人々に何らかの感情を湧きたてる作品であることも確かだ。
鑑賞時、常に前につんのめり状態で観ていた。前傾状態。

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映画の中で幾度となく紛争中混乱の中での選択の難しさを突き付けられる。
・誰と誰が車に乗ってワシントンを目指すのか
・ゴルフ場でのスナイパーがいる場所への侵入
←経験値が役に立った
・スナイパー同士の打ち合いでどちらの軍と戦っているのか
←味方同士かもしれない
・誰にどこへ行くのかを情報を言うのか←大失敗につながる
・戦争時にサイコとの出会いでの行動規範を決めておくべき
・最期をジャーナリストとして行動すべしと覚悟すると決めておいたのは、結果的に行動に結びついた

画像

これは映画の話ではあるが、非常に身につまされる話であり、戦争が関係なくとも「非常時の判断」は、日常において人それぞれの行動規範として考えておくべきことだろう。

途中戦争を感じさせない街を訪れたエピソードの挿入があったが、静かな感情的インパクトがあった。
なぜなら映画内では一応米国国内という設定だが、現在では今のウクライナやガザに当てはまる我々の態度にも通じるようにも思えるのだ。

ストーリーの流れのスピードも前半は日常の生活の延長のまままだついていけた。
だが、車の暴走辺りから一気に流れが変わり、シリアスな本当の戦争の流れと移った。それまでの戦闘は一時的なモノで若いジャーナリストにとっては体験的なモノだった(実戦ではあったが)。
車の暴走以降に会う戦闘から本当の戦争になっていった。容赦ない戦争。
問答無用の暴力。
論理を越えた暴力の世界。

国会議事堂を巡る戦闘に加わった頃からベテランジャーナリストに変化が起きたのはなぜか。
また、途中から吹っ切れたのはなぜか。
この頃には若手ジャーナリストは本物の戦争ジャーナリストへと育っていっている。このジャーナリスト旅に加わり犯したミスが彼女を成長させたと言って過言でない。

エンドロールで大統領が射殺されたところで記念撮影をする兵士のバックで曲が「夢を燃やし続け、夢を見続けよう」と流れる。
横たわる大統領が狩猟目的の動物かのようで微笑む兵士が不気味だ。
恐らく過去の戦争でもこのような映像はあったのだろう。

「夢を燃やし続け、夢を見続けよう」の曲は兵士向けではなく、ジャーナリストに向けたものだと思いたい。
戦争ジャーナリストは危険を冒して人々に真実を伝えようとしている。権力者はそれをさせようとせず常に排除しようと圧力をかけ続ける。でもいつか、報道の力が現実を世に知ら示すためにはジャーナリストの力が必要となるのだ。

この映画は「あり得ない非現実的なモノ」として観てもいいものなのだろうか。監督が映像をリアリティあるように撮った理由はやはり現実にあるかもしれないし、あった際はこのことを思い出してほしいという狙いがあるからではないかと思う。
ウクライナ侵攻の時
ガザが誘拐を仕掛け戦争へと突入した時
今のような悲惨な現実を日本人のどれだけの人間が想像していただろうか。

この調子で行けば
台湾事案
日本海域侵犯
北海道沖縄付近の侵犯侵略
東南アジア圏での戦争
それらの影響を受けた後でグダグタ言うのだろう。
ましてやどれだけの日本人ジャーナリストが真実を伝えてくれるのだろうか。
この映画のように戦争当初は権力者のいいように、権力者側の情報の伝達者がマスコミ+ジャーナリストの仕事になるのではないかと心配だ。
(映画の主役たちのことを言っているのではない)

だからこそ、多くの人がこの映画を観て気づきを得てほしいと思う。
↑誰様w



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