世の中は便利になったものだ。
何かと便利になったものだ。
便利は代償を伴う。
それってみんながみんな求めていたことなの?
今日(12月31日)も玄関のチャイムが鳴った。
届け物だという。
送り主は娘。
今日に着くようにワザワザ手配してくれたそう。
ハイ、アリガトウ。
宅配業者さんは忙しそうに、申し訳なさそうに言った
「あと二点あるんですが、車に詰めなかったんでまた来ます!」
こちらが申し訳ない。
何を頼んだか覚えてない。
何でこのくそ忙しい時に届くように設定したんだろう。自分に腹が立つ。
テレビでも年末年始にショップがオープンしてるとアピールしてる店がある。と言うことはそこで働く人々、関連会社の人々がいるってことだろう。
そないに必要か?
年末年始くらい皆でゆっくり休もうじゃないかい。
どうしても休めない仕事の人々があるのは仕方がない。でも休める仕事はあるはず。何かオカシイよね。
しかも今どき家でゆっくりできるアイテムは一杯あるはず。
家で観る映画なぞ
家で観るスポーツ観戦なぞ
ゲームなぞ
読書なぞ
何なら、寝てたら…
将来起こるであろう災害対策でストックの練習にもなるだろうし、昭和はこんな生活が普通だった。
便利な生活が人の苦労の上でしか成り立たないなんてそれならやっぱり昭和の方がいいヤン。
これが仮に宅配でもショップでも人手を使わないロボットや全自動機械で運営されるものなら年末年始も運用オーライなんだけどね。
何も昭和に戻ろう、って言う趣旨の文章にしたいわけじゃない。
過去の悪いところを戒め、今のいいところを活かして快適な暮らしを求めていきたいね、と言いたい。
働き方改革、っていってたじゃない。
意識改革も同時に必要、って気づかされた。
早よ、来い。
素晴らしい未来。
人に迷惑をかけない未来。
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