映画自評:「ガザ 素顔の日常」を観て以降の生き方を問う

「正人」の日記

十三の第七芸術劇場で「ガザ 素顔の日常」を観てきた。
勿論、この日ごろの世情を鑑みてのことである。

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確か第七芸術劇場での公開は限定期間だったと思うが、いつの間にか延長されていた。世情を反映してか、お客さんの反応が良くてか、は分からないが。
少なくとも「映画」としては、必ずしも内容は良くはない。ドキュメンタリーであっても編集作業である程度のリズムを生むことは必要だろうし、その意味では全体の流れは緩慢で関心がない人(そんな人が居ればだけれど)にすれば前半は悲惨な事実であってもやや「暇な展開」に感じるかもしれない。
後半の現実は、今現在の現実なのでドキュメンタリーというか日本では放送されないニュースの類だ。現実の塊を目の前に鷲掴みにして突きつけられ答えを求められる。正解不正解はともかく何らかの答えを発せなければ、身動きできないようなそんな強迫観念に襲われる。でも、それが今の現実のガザなのだ。
そして、いずれかの我々なのだ。

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いい映画をチョイスする、第七芸術劇場

プーチンが戦争を起こすと誰が予言しただろうか。
香港がヤバいと言われつつ、中国に手渡したのは良かったのだろうか。
チベットの件は、言われたままで放置しててもいいのだろうか。

それで、台湾が大丈夫ってどの口が言えるのだろうか。

映画を観て感じた。
我々の平和ボケは、甚だしい。
いいだろう。どの国も衰退するものだ。永延と続くものなどないのだ。日本人が日本をアイスと言いつつ結果的に何も行動せず放棄するならそれが運命かもしれない。
他の国が身をもってヤバいことはヤバいと証明して見せてくれていることを分からない限り。

話しがガザの映画からズレたのでいったん戻そう。
この映画を観た以上、
パレスチナの日常や
イスラエルの日常など
それぞれの視点を見る必要もあるだろう。

ボクは大昔、湾岸戦争の頃、日本にいたイスラエル人の人達と親しくなり、何度かパーティーをしたことがあり、楽しい思い出が残っている。以降常々イスラエルを訪れたいと願っていた。その後も(今思えば)イスラエル側の情報であの付近の情勢を気にはしていた。日頃から不可解なアラブ人(失礼!)の行動、言説がイスラエル側の情報が基になると「やっぱり」感がでてくるものだ。

だが、今回のような無意味な一般市民へのイスラエルの武装攻撃は戦争を越えて殺戮行為だと思うしやりすぎも甚だしい。彼らはかつて受けた被害を別の人種に与えてもいいと考えているのだろうか。
イスラエルが戦うのはハマスであってガザの一般市民ではない。
100歩譲ってガザの一般市民がハマスを支援したとしても子どもを殺す意味はないし、イスラエル人の一般人が快哉を叫ぶ意味も分からない。
(映画以外の話)

ネットが普及した現在、より世界が狭くなり他国のことを知らないで済まない時代になってきている。
この映画を観た以上、自分としてもより行動的にも無視できなくなってきている。隣の家の人が余りの不条理で苛まされていて困っている時に声をかけないでいられるのだろうか。
隣の人を無視しているような人間には、当然の報いとしてその人に災いが来てしまうのは自然と思うのは人の業。そうならないように今一度何ができるか自分のできる範囲でいいから考えてみようと思う。

皆さん、見てください。



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