映画自評:【映画『クラウド』考察】身近に潜む悪意の正体と対処法:人間関係の心理学「すぐそばにある悪意」に気づけ!

「正人」の日記

無意識の加害と被害:日常生活における立場の変化

アナタは何気なく生きていてももしかしたら誰かを傷つけているかもしれない。意図的ではなくても。
相手は被害者だ。
被害者にとって加害者のことは忘れない。
このことは加害者は軽視している。加害者たる所以ともいえる。

日常生活において時に被害者であっても見解の違いなどから双方の立場が入れ替わり被害者が途端に加害者になることもままあること。社会生活を営む上で立場が交互に変わる事なぞショッチュウなのだ。我々は日々経験しているはず。仕事をしていれば猶更。

『アナタのために』の落とし穴:善意が生む悪意の連鎖

「アナタのために」という言葉もよく使われるがこれもその人本位のもの。決して「アナタ」のためになっているかどうかはわからない。時にその正反対の意味になることもある。
その言葉を使った人は勿論その相手のことを思ってのことで決して「悪意」ではなかったはずなのだが、押しつけしすぎると相手にとって嫌なことであれば「悪意」になる。日常茶飯事だ。

「悪意」もなく想像力のない人間が自分の思うまま邁進すると関連する人たちが被害者意識を持ち、その被害者たちが互いに連携を持ち始めると悪の連鎖がおきてしまう。
それがこの映画だ。

以下ネタバレを含む。


映画分析:主人公の無共感性と他者への影響

映画の設定に関して一々ツッコミを入れだすと話が進まなくなる。不自然なところ、ストーリー的に不完全なところに関しては受け入れて映画を観ていくしかない。

さて、映画ラストから言うと、今年観た映画「みんなに幸あれ」の女優さんと、その不条理さが被ってしまったような印象を最後の最後に受けてしまった。そこは残念。

ただ途中、工場シーンからストーリーが崩壊(?)していく中で主人公だけが依然と同じスタンスのままの精神状態でい続け、最後までそのままだったというところ、銃で人を殺すという非現実な経験をしても、主人公とアシスタントとの関係性はあれ程の状態であっても以前のままであろうとする精神状態、その不思議さ、精神的な覚醒のなさには、無共感性を感じられ、他者に対する感受性の少なさが窺われた。

自分が行ってきた行動が人に対してどんな影響や感情を与えるか考えたこともなかったことを表しているのではないだろうか。

転売ビジネスの二面性:利己と価値創造の狭間

転売ヤーという人の努力の上に成り立つ仕事は、多くは利己的で人に迷惑を与え利益を生む仕事だが、場合によっては二進も三進もいかなかった商品を売る仕事で新たな商品価値を生む仕事でもあるのだ。
その意味では健康電化製品を格安で買い取り高値で売り切ったあの商品なぞは売った社長から恨まれる覚えなんかないはずなのだが…。(まじめ)
フィギュアの店主や買いたくて並んだオタクからは恨まれて当然。

バッグも1万ほどの価値のバッグを何倍にして売っているのだが、ブランド品も似たようなことで商売をしている。

おっと、映画の設定について受け入れてみていくと最初に言ったはずだった。ついつい…。


身近に潜む悪意:日常生活における不安と恐怖

すぐそばにある「悪意」については日々社会生活を送っていても感じることがたまにある。自分が何も悪いことをしているつもりは無くとも「悪意」から事件に巻き込まれるかもしれない恐怖。

何がトリガーとなるのか。

反面、この映画に沿って悪意を持つ側の心理を考えてみよう。
妬み、嫉妬、自己不満足感、自尊心の低下、相手のマウントを取りたい、など心の問題を抱えていて、結局理由は何でもいいので「悪意」ある行動に出るきっかけが欲しいのではないか、と思う。
日常生活でも似たような人がゴロゴロいるが。

コミュニケーション能力の重要性:悪意を防ぐ鍵

上記添付した資料でも結果的に映画でもそうだが、最終的には、
「初めからコミュニケーションを面倒臭がらず取っていれば『悪意』を生むことはなかった」というコミュニケーション能力の問題という残念な話になるのだろうか。

何ゆえに残念かというと、ボクがコミュニケーション能力は一番の苦手とする分野なのだ。w
恐らくボクの周りには「悪意」が蠢き、この映画のように今でも動き出そうとしているのではないだろうか…。

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