昨年度の暮れからパーフェクトデイズの噂をSNSで度々目にするようになり、初めは見るつもりがなかったがこれ程噂になるようなモノであれば一度見ておこうと思い、観に行った。平日だったが満員御礼だった。
恋愛で何であれ、人の直感とは結果から見ると頼りになるものだ。見ることを迷っていた自分の直感は、自分の価値観からすれば間違っていなかったからだった。以下ネタバレを含む…。
「パーフェクトデイズ」絶賛者、大支援者、否定されたくない人達は以下の文章を読まないことをお勧めする。勿論、映画感想なので、映画としていいと思ったところは、それはそれで書いていきたい。
ミニマリストの主人公は無理してミニマリストになっているようではないようだ。彼の性格上自然とそうなったかのよう。だからこそ日々の細やかな出来事に幸せを見出すことができる。
日々の目覚ましは、規則正しい労働の結果の睡眠と朝の掃除履きの音で充分だ。昼御飯時のいつものOLとのご挨拶。風呂屋、居酒屋でのいつもの面々。
日々のルーティーン,週のルーティーン。
と守るべき彼なりの習慣があり、時々その習慣が乱れる時に物語が生まれ、彼の日常が微妙に動く。
彼は修正する。
彼は決して多くは望まないし、大きな野望も抱かない、変な欲もない。iPhoneも持たない。(ボクは15プロを買ってウハウハ喜んでいる。)
そんな暮らしをあえて欲望渦巻く大都会のど真ん中で実直に過ごす。
彼は、欲望のすぐ隣にいてもブレない。
カセットを売れば金になる。でも売らない。
実家に頼れば、金に困らない。でも疎遠のまま。
彼は何故田舎で農業をして暮らさないのだろうか…。
農村にはまだまだPERFECT DAYSのような暮らしは散見できると思う。
この映画の中で彼が大都会に敢えてこだわる理由は見当たらなかったと思う。職業か?
しかし彼ほどの几帳面さと計画性、実直性を持った人間ならどこへ行っても何でもできるはずだ。やはり職業か?
彼の職業にこだわる謎。
それこそボクの違和感だったのだ。
ボクは公衆トイレの男子便器で上手に用が足せない。掃除をする方に申し訳ない。だからと言って公衆トイレで「小」で便座に座る気にもなれない。最近は駅のトイレは大分綺麗になったが、駅のトイレでも同じだ。不潔感がぬぐえないのだ。
この映画の主人公は、とてもきれいなトイレの掃除していた。
違和感の2つ目だ。
職業にこだわる理由。
その職業の最もマイナスな部分が描かれていない点。
ま、ズバリ言ってしまえばそもそもの企画ありきで始まった映画だったから何か不思議な違和感を感じたのかもしれない。
映画を観てから色々と調べて分かった。
お金や「意図」が絡むと映画を観る観客をコントロールする力が生まれるような気がする。
本来は映画芸術として監督がすべきものなのに。
ただし、ここは近代映画の議論のしどころ、加減のしどころだろう。
100%アカンとはイワン。
も一つただし、そしてそこは観客側の見る見ないの選択肢にもなるだろうから、情報提供の素地があったほうがいい。今回は調べたら一杯出てきた。
本来普通に
ヴィム・ヴェンダースの作品なら、普段だったら内容如何に問わずまずは飛びつくはず。それが今回はピンとこなかった。
パリ/テキサス
ベルリン・天使の詩
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち Pina
と見た映画は多くはないが、作品には関心を持ち続けている。
とはいえ、作品公開前から作品内容詳細までボクは知らなかったし、賞を受賞後も知ろうとはしなかった。何故か関心が向かなかったのだ。
映画を一つの映画作品として見る感性と、
前評価に印象操作されて見る映画と、
やはり、そこは純粋に分かれるように見る映画の見方が望ましい。
情報社会に生きる我々は、情報に操作されがちだ。こういった社会になっている今、全てを否定しても仕方がない。上手に付き合うしかないのだ。
それにしても、休日主人公の行きつけにしている居酒屋にボクも行きたい!
(皆さんもそうでしょ!)
秋葉原の居酒屋街も行きたい。
タワーが間近で見られる下町へ行きたい。
淡々と進むストーリーの中で小さなパーフェクトプレイスを見せてくれている。この映画を観た外国人はきっと日本に来たいと思うことだろう。
どんな映画でも揚げ足を取ろうと思えばいくらでも取れる。そんな中で素晴らしいと思えるものをしっかりと観客に残せる映画監督はそう多くない。
大きな感動ばかりじゃなく、染み入る感動の良さを改めて感じさせる監督の技量、応えるスタッフの才能は素晴らしい。
監督自身の企画でまた改めて日本で映画を撮影する機会があれば、是非撮って頂きたいし、俳優のチョイスもしていただきたい。できれば音楽系かロードムービー系かで。
期待してます!
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