映画自評:【考察】「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」の衝撃の真相:二人目は「アナタ」?精神医学的解釈と映画分析

「正人」の日記

「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を観に行った。
正直言って最初は余り興味がなかったのだ。
だから観るつもりはなかった。
しかし、SNSでの盛り上がりに観ないで評価はできないので、一回観てみようと映画館に赴いたわけだ。
以下ネタバレあり。


映画を観てから、
ところで「フォリ・ア・ドゥ」って何だ? って調べてみたら「Folie à deux」フランス語で「二人狂い」を意味する精神医学用語だそうだ。

Folie à deux(共有妄想性障害)は精神医学的に以下のように説明できます

定義:
二人以上の人々が同じ妄想を共有する稀な精神障害です

主な特徴:
通常、一人が主要な妄想を持ち(一次患者)、他の人(二次患者)がそれを共有します

二次患者は一次患者と密接な関係にあることが多いです

発症メカニズム:
社会的孤立や強い依存関係が背景にあることが多いです

二次患者は通常、一次患者から離れると症状が改善します

診断基準:
DSM-5(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition)では「妄想性障害」の一種として分類されています

共有される妄想内容が非奇異的であることが特徴です

治療:
一次患者と二次患者の分離が重要です

抗精神病薬による薬物療法や認知行動療法などの心理療法が用いられます

この障害は稀ですが、精神医学的に興味深い現象として研究されています。

LLMにより要約を依頼

映画全体を通してアーサーとリーの二人を指すのが一般的なのだろうが、映画評価の盛り上がり、アーサーへの憧憬、ジョーカーへの憧憬を見る限り、映画の中では確かにアーサーとリーの「二人狂い」関係が成り立っているが、映画鑑賞者の中には、
アーサーと観劇者、
映画と観劇者、
の間で「Folie à deux」な関係性ができているよう。
(「的」なので共感された方を精神に問題あると指摘はしてません。)
共感性、感受性の低い自分には分からない世界だ。
加え、
映画の中では、
裁判放送を通して受刑者、
裁判放送を通して視聴者、支持者
という構図で
ジョーカーと受刑者、
ジョーカーとそれぞれの視聴者、支持者
の間で「Folie à deux」な関係性ができているよう。
これは辛うじて映画タイトルを改めて見直して気づいた相対関係なのかもしれない。

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芸術感覚が低い人間(ボク)にとってはこの映画はハードルが相当高いのだろう。どうもそんな感じを受ける。

何故歌うのか。

その歌が全体を通して中途半端なのは何故か。(全部がミュージカルでない)
一貫性があればわかりそうだけど、それも分かり辛い。誰しもどんな感情でも「歌いたくなる気持ち」を持っているのは確かだ。
なら弁護士も歌っても如何だっただろうか?
二人しか歌わない意味に「愛」を感じるというのだろうか。
「アーサー」の物語だからこそ歌ったのだろうか。
チャレンジな姿勢に対しては評価したいが、相手が「ガガ様」だから歌った感を感じなくもないので、ミュージカルにした必然性をボクはこの映画では感じなかった。

ジョーカーになった動機はどうした?

アーサーからジョーカーになった動機がしょぼ過ぎる(この映画の中で)と感じるのはボクの感受性のせいか。

母親からのトラウマから発した精神的なバランスの乱れが社会に出て更に社会の不条理や社会不安、不平等、差別、無理解などなどマスコミが介入することで歪に歪め拡散し、結果的に皆の共通の不満の代表、皆の不安の共通項、そして代弁者となったのが「ジョーカー」とボクは理解していたが、この映画ではただ単にアーサーの家族の問題、アーサーとリー二人だけの愛の問題で終わってしまっている。
エンディングでは次なる「ジョーカー」の誕生の可能性の示唆を含んでいるのかもしれないが、今までのジョーカーはどこに行った?
今までのジョーカーなら裁判途中で裁判所が爆破されて逃げた後、リーに振られたとて逃げ切るだろう。今回はあっけなく捕らわれた。
あれじゃ~、我々と同じ一般人と同じじゃないかい。
そ~言いたいのかもしれないが、それは違うだろ。
世間を悪で攪拌したのは、できたのは「ジョーカー」だからであって、我々と同じ一般人であってはいけない。

ガガ様を持ち上げる風潮があるのは何故?

ボクは彼女は好きな方だった。この映画に関してはかなり疑問だ。
ガガ様は化粧して映える顔。
ガッツリ化粧してほしかった。個人的見解。
SEXシーンもしょぼい。
悪の権化かもしれない男とやるんだからもっと燃えてもいいんじゃね。

画像

美しいシーンの数々

一方映画シーンに残ると思われるような美しいシーン、ショットがいくつかあった。
陰影のある、ライトを多用したシーンなどはそれだけでまた見たいとも思えたし、そこのシーンのシミュレーションを思うと裏方さんの大変さが思いやられるし、出来上がりを思うとやりがいがあったろう。
映画の賛否両論がいくらあっても映像的な美しさに関しては、胸は張れるのではないだろうか。
それを勘案すると全体を通して非常に残念な結果だったと思う。



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